二藤 建人さん 

アーティスト

子ども:幼児、小学生低学年(インタビュー時:2022年3月)

東京在住

坂本:これまで女性アーティストにインタビューをしていたのですが、今回は初めて男性アーティストにお話を伺う機会になりました。子育てについて話せる男性アーティストは少ないと思うので、色々とお話を聞けたらいいなと思っています。二藤さんは、現在お住まいの埼玉県北部に拠点を移したタイミングでパートナーと役割交換をしたそうですね。詳しく聞かせていただけますか。

 

二藤:拠点を移す前はサラリーマンをしながら作家活動をしていたんですが、自営業で子育てしながら作家活動をした方が合っているのではないかと思うようになりました。サラリーマン時代は、展示前に休みをもらえる代わりに他の日にその分働いていて、週7日、毎日13時間労働というとんでもない状況でした。そこで現在は子育てと作家活動をメインにし、個人事業主として講師業や設営補助の仕事を請け負っています。パートナーはフルタイムで働いているので彼女の方が稼いでいます。男性の方が稼ぐことが一般的であるので、そういった状況を負い目に感じることはあります。その分だけ家事分担に関しては僕が多くを請け負うべきなのですが、どうも家事のレベルや目的がパートナーと違っていて、不満を言われる事があります。僕は洗い物などの家事は溜めてからした方が効率が良いと思っているんですが、パートナーは雑菌の繁殖などを気にしていて、結果的に彼女が洗う頻度が多くなってしまっています。僕が家事仕事が不完全な状態で制作等をはじめてしまったりすると、リモートワークをしているパートナーが休憩中に家事をする事態になっていたり、負担をかけてしまっています。 

 

本間:家事に対する考え方と、分担のバランスは難しいですよね。 

 

長倉:パートナーや家族との関係性など、作品にも何か影響はありますか?写真作品でもよく家族を被写体にされていますよね。

二藤:もともとパートナーとは婚姻関係になくて、先に子どもを授かりました。当時、僕は27歳で、周りに子どもがいる作家も少なく、どうやって作家を続けるか模索していました。貯金もないし、奨学金の返済などもあって負債の方が多かったんです。展示に参加しつつ、時給の高いバイトを探したり、いろんなことを同時に考えていました。それまでの作品テーマも含め、一度シフトチェンジをしなければいけないと。蓄えがないだけではなく、両親も共働きであったりと、無条件に作家を続けられる状況ではなく、まず彼女の両親に父親と作家の両立についてプレゼンをしました。僕がアーティストであることによる子どもや家族にとってのメリットを説明しましたが、「仕事はどうするの?」と聞かれてしまいした。その後結婚を認めてもらい、「式は挙げなくてもいいけれど、産まれてくる子どものために結婚写真は撮って欲しい」と言われました。写真撮影のために行ったウエディングフォトスタジオでは、男性が女性に傘を差し出しているサンプルを見せられ、男性が女性を自らの庇護のもとに招き入れるような構造に目がいきました。傘は本来、雨を防ぐためのものですが、反対に傘の中に雨を降らせて、僕たちとお腹にいる赤ちゃんも一緒に雨を浴びるという設定を作り、困難な自分たちの状況をポジティブに変えられないかと考えました。スタジオで撮ってもらった写真画像から、フォトショップで傘の内側に雨を描き足したものを僕たちの結婚写真としました。実は雨が降る傘を作って持って行ったんですが、貸衣装が濡れてはいけないということで実現しませんでした。その数年後実際に雨が降る傘の映像作品を作りました。 

 

長倉:作品や制作態度の変化への恐怖についてこれまで話したことがあります。偏見かもしれませんが、男性は女性に比べると作品を変えなくてもいい要素が多いのかなと思っていましたが、そうではないんですね。 

 

二藤:当時の気持ちを思い出すと、その頃は色々な国を訪れて多くの人に作品を見てもらいたいという気持ちが強かったのですが、そういったことが難しくなるだろうと考えていました。作家活動を続けながら家庭を維持するには、日常のいろんなことを作品に繋げていくなど、作品テーマに広がりをもたせないといけない。僕の作品は販売しにくいものが多く、収入面を考えれば就職せざるを得なかったのですが、サラリーマンをやりながら作家活動を続けるためにパートナーと話し合いながら進めていきました。

2021年開催、渡辺 篤(アイムヒア プロジェクト)「同じ月を見た日」展覧会場にて。(渡辺さんのTwitterより転載)
2021年開催、渡辺 篤(アイムヒア プロジェクト)「同じ月を見た日」展覧会場にて。(渡辺さんのTwitterより転載)

本間:展覧会など、かなり積極的に参加されている印象です。 

 

二藤:そうですね。ただ、展覧会のたびにすごく負担がかかるんです。搬入など、泊まり込みで作業することも多いので、特に遠方の展示は現場に子どもを連れて行って、そこで子どもを寝かせたりしています。パートナーは夜もスタンバイしていないといけない仕事で、子どもを見ながらの仕事が難しく、また、両親も働いています。一月前からパートナーや両親と予定を相談し、都合がつかない場合は展示場所に子どもを連れて行くことが多くなりました。受け入れ側のスペースにもそういう状況の作家に声をかけていただいたということでその都度協力を仰ぎました。小さい子どもが一緒だとどうしても色々と迷惑をかけてしまいますが、これまではどの現場でも大きな問題もなく企画を進行する事ができました。サポート環境に関しては京都や信州の大学、ホテルやアートセンター等で仕事をした時は、子どものための部屋も用意してくれるところもありました。一方で、個人で運営しているスペースでは先方も作家同様、潤沢な資金があるわけではないので、子ども連れの作家の受け入れ環境は基本的には望めません。そういう現場では少しずつ皆が我慢を強いられる感があり、摩擦が生じることもあります。例えば、設営のために他の方と同室で寝泊まりしていた時には、1歳半の子どもが夜泣きしてしまい、協働メンバーに負担をかけてしまったこともあります。

そうしたスタイルで活動してきて、一時期よりも展覧会等に声をかけていただく機会が減ったような気がしています。それが果たして子どもを連れて行くせいなのか、単に自分の能力のせいなのか、相手のタイミングの問題なのかは結局検証しようがないのですが。 

 

本間:特に小さい子どもは色々なものを触ったり舐めたりしてしまうので、連れて行くことを躊躇するのですが、そういったことは大丈夫でしたか? 

 

二藤:自分が手を離せない時はギャラリストや学芸員さん、他の作家さんや学生さんなどの力を借りてきました。長女が大きくなってからは下の子をみてくれて、遊んでいて危険な時は守ってくれたりと助かっています。

ただこれは別の問題ですが、子どもが大人のコミュニティに入って大人のルールに従うことは必ずしも良いことばかりではないかもしれないと最近気付きました。大人とのコミュニケーションに慣れてしまうと、子ども同士での遊びのノリがわからなくなる事があるようです。先生からも、娘は他の子どもが遊んでいるのを外から見ていることが多いと言われました。(※後日談:学年が上がってからはそんなこともなく毎日楽しそうに友達と遊んでいます。杞憂だったのかもしれません。) 

自分といる時間が子どもに与える影響は分からないし、それが少し怖くなります。「アートの中で子どもを育てる」というと聞こえは良いですが、作品や展覧会を作る現場はほとんど大工仕事だったりします。大工が現場に子どもを連れていくのか?って考えると、事の異常さに気付きます。危険が排除できたとしても、結局子どもが退屈するからスマホを持たせるじゃないですか。そうすると旅行で初めての場所に行っても「Youtubeの何とかだ」という反応があって、最初の感動はYoutubeとは関係ないところでして欲しいのですが。

 

坂本:母親同士だと、「うちはYoutubeは見せていません」とか、マウントを取ることがあります。自分の母親から言われる、こうであるべき母親の態度みたいなものもあります。二藤さんの話を伺っていると、そういったレイヤーがなくてシンプルに子どもと向き合っている健康さを感じます。母親は自己犠牲をすべき、という先入観があることでアート活動に罪悪感が出てくるんです。誰もが制作と子育ての不安は感じると思いますが、母親でありアーティストの場合は、制作に向かう精神的なストッパーや内圧がとてもたくさんあると感じます。

 

二藤:自分が子どもを背負って現場に行っていたのは、男性的な大味なところが許されてしまうというか、「許せ」という態度をしていたのかもしれない、と坂本さんのお話を聞いて気付きました。至らぬ点は多いけれども、子育てへのバイアスがないことで世間体よりは合理性を取れて、こんな方法もあると提案したり、母親はこうあるべきという周りの目を変えられるかもしれない。

 

坂本:女性の場合は妊娠中から身体的に無理が出てきて泊まることが困難だったり、選択肢が自然と減っていく。でも妥協して範囲を狭めてしまうことばかりだと、社会の目も狭めてしまう。それを崩して行くためには、二藤さんのように違う方法を見せて行くことも必要ですよね。 

長倉:男性アーティストどうしで、子育ての辛さをシェアしたりしますか? 

 

二藤:最近は周りにそういう話ができる人が増えています。これは他のアーティストからも共感を得た話ですが、子どもと長時間一緒にいると、たまに他所でのコミュニケーションを難しく感じることがあります。子どもと朝から晩までずっと一緒に過ごしていると、子どもとのコミュニケーションのための動作や言語レベルが子どもと同調してしまい、うまく切り替わらないのかもしれません。育児ノイローゼの原理もそういうものだと聞いた事があります。 

 

滝:子育ての話じゃないんですけど、仕事や外国の人とのコミュニケーションでは、わからないものをよりシンプルにすることが求められています。一方で、日本人とは悩みなどを話すときは繊細なものを高度な言語で話すことが求められていると思います。今は二藤さんの話を聞く場なので、二藤さんに合わせることができるけど、社会では誰に合わせるか目に見えないし、決まっていないから難しい。 

 

坂本:子どもの視点がインスピレーション源になったりしますか? 

 

二藤:なります。上の子にはなるべくアンパンマンを見せないようにしていたんですが、子どもはお店や保育園で知ってしまい、結局はアンパンマンに夢中になってしまいます。子どもがまんまと経済的な事情に巻き込まれて行く様は、大人にも当てはめてみることができる。別の例では、ベビーベッドは親の気遣いを形にしたものだけど、檻のようにも見えます。限定的な囲いの中で、与えられたものを手にとったり眺めたりして満足します。そんなふうに子どもが囚われていることは大人が囚われていることと同じだと気づく事があり、そうした気づきは作品コンセプトにも現れます。親になる前はマッチョな思考で考えていろんな環境への耐性を求めてきたけれど、子どもの視点になると街や学校、社会ってこんなに怖いんだということに気付きます。表現の幅を広げるにはそういった視点も必要なんだと思う。僕は弱音を言いたくなくて、それを押し込めることを美徳のように思っていたし、社会も概ねそれを良しとしていたと思います。現在の社会はようやく小さな声を掬い出したり、弱いことを否定しないで良いという雰囲気が生まれつつありますが、僕は他人の弱音を聞かないことに加担してしまっていたのだと思います。アーティスト・ペアレンツのガイドラインの中でも、ものによっては「これは言わないようにしていたのに」と思うものもありました。けれども今では環境の側に足りないもの、自分が抱えている悩みも含めオープンにして、自分だけの問題にしないようにしていくことが重要だと思います。

二藤建人 NITO Kento Website http://www.kentonito.com/